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則天去私
 余命あと数ヶ月。

 さて、そんな時、人はどう過ごすのだろうか。
 想像出来るものではないし、
 死はそんな簡単に語れるものでもない。
 
 ドラマを見ていない人に言っておくが、
 「生きる」は「世界の中心で〜」のように、心揺さぶる感動系ではない。
 どこにでもいそうなオヤジの、最期の日々をただ綴っただけのお話だ。
 死期を前に奮起しようとも、さて、
 それが全ての人にとって賛美に値するものであったか、と言えば、
 そうでなかったりもする。それが社会の常である。
 
 「諸行無常」

 「一切は空しい。一切は無意味だ。一切は何の甲斐もない」

 世界には70億もの人がいる。
 その全てが、思い通りの生を生きられる訳はない。

 「生は苦悩だ」

 そういったニヒリズムから脱却し、ありふれた生を歩む事が、
 あるいは素晴らしい事かもしれない。
 「生きる」の主人公が行った事は、一部では奇跡のようでもあるが、
 結果として、それ程特別な事ではなかった。
 彼の最期は、言わば「則天去私」の状態ではなかったろうか。

 
 死後の生や、生まれ変わりなどは信じていない。
 ただ、「永遠回帰」はありうるのではなかろうか。
 この「永遠回帰」は、人の時代に回り巡るものではない。
 途方もなく巨大な時間……それこそ、億年や兆年をも越え、
 京から無量大数という数え切れぬ単位で時間が巡る。
 億年単位での時間は、恐らく宇宙規模で考えれば、
 幾分かは想像出来るかもしれない。
 けれども、兆や京以上の単位の年は想像もつかない。
 想像つかぬ世界であれば「永遠回帰」の存在を否定出来ないだろう。
 
 それならば、死後の生や生まれ変わりもありうるのでは?
 という問いもあろう。
 ただし、それらは、人類が存続している限りにおいてのみ、
 通用する事であり、人類の代は万年、億年経てば、
 必ず終わりを迎えるだろう。
 その範囲内での、第二の生はありえない。

 さらに、「永遠回帰」の最たる特徴は、生の不変である。
 似た人生や、より良い人生などになるのではなく、
 そっくりそのまま繰り返す事を指して言う。
 京から無量大数という数え切れぬ単位を経て、再び同じ事をする。
 地球が再び同じように作られ、同じ歴史が築かれ、
 今日が来た時、今日と同じ事をそのまま繰り返す。
 以前の生は、途方もない年の中で昇華され、記憶すらも留めない。
 「ずっと以前にも同じ事をしたような……」という曖昧さすらもないのだ。
 未来が分かる訳でもない。
 それが「永遠回帰」である。

 ニーチェは、この「永遠回帰」の克己者として、超人を提唱している。
 未来が分かる訳でもなく、死期すらも不明ながら、
 いずれは同じ事を繰り返さなければならないという事への抵抗であり、
 よし、ならば生きよう、とするための道標である。

 「生きる」から生の意味を考える時、
 愛読書である「ツァラトゥストラはこう言った」を思い返した。
 冬コミで発表した拙書「風見鳥の陽時計」において、
 これらの思想を端的に展開しているので、そちらもどうぞ。
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