蜘蛛の夢

 その日の深夜、日付が変わった直後のこと。

 自室で寝ていた真夕紀は、変な夢を見て、不意に目が覚めた。

 自分の体よりも大きな蜘蛛にのしかかられている夢だ。悲鳴をあげようにもあげられない。糸で全身をくるぐる巻きにされて何も見えなくなった所で、夢は途切れた。夢の中で、誰かが見ていたような気がするけれど……

 パジャマが汗でぐっしょり濡れている。体が熱い。たまらず、真夕紀はパジャマを全て脱いだ。

「何か、飲みたい……」

 素っ裸のまま、廊下に出た。そのとき、視界を黒い影が横切った。女の子なら、誰でも飛び上がって悲鳴をあげそうな、あのカサカサ動くモノだ。虫嫌いな彼女ならなおのこと、それは顕著に表れるはずだった。――昨日までなら。
  だが、その瞬間、真夕紀の取った行動は、全く別のことだった。

「あたし、今、何を……?」

 真夕紀は、今、自分がしたことが信じられなかった。見つけた途端、飛びついてそれを素手で捕まえてしまったのだ。今すぐにでも離してしまいそうなのに、彼女の右手は、がっちりと捕らえて離そうとしない。
 右手を目の前に近づけた。毛の生えた足がわさわさ蠢いている。気持ち悪い、という感覚は、しかし、すぐに霧散してしまった。黄褐色の体色が、まるでトパーズのような美しさに感じられていた。

「綺麗――」

 真夕紀はやおら、その黒い生物を舐めた。舌がちろっと触れた瞬間、電撃のような興奮が彼女を襲い、一時的に理性が蘇った。

「どうして……こんなの舐めたくないのにぃ…………でも、美味しい――」

 理性と興奮とが体の中でせめぎ合い、真夕紀は涙目になりながら、それでも右手に掴んだモノを舐め続け、ついには口の中に丸ごと放り込んでしまった。

 ザリッ……

 潰れた。

 口の中に、ぶわっと生暖かいものが広がっていく。不思議と気持ち悪さは感じない。頭の中では、まだ少しばかり拒絶反応が出ているが、それでも彼女の遅い夜食は止まらない。

「こんなものが美味しいはずがないのに――ううっ、でも、美味しいよぅ……」

 矛盾したことを言って、新たに捕まえたモノを泣きながら食べ続ける真夕紀だった。

 

「ケッケッケッ……全てを飲み込む蜘蛛の遺伝子――あれ一匹しかなかったが、結果は上々か。ちょっと好きになるポイントを間違えたような気もするが……まぁ、これはこれで面白い結果になったな。これからどうなるか、しばらく様子を見てみるか」

 向かいの家の屋根から、その様を赤い瞳で眺めていた鬼っ娘は、しばらく思案に耽った後、闇夜に溶け込んで消えていった。

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