プロローグ 真夕紀の憂鬱
 真夕紀(まゆき)はいじめられっ子。
 おとなしく、目立たない少女だけに、性悪ないじめっ子たちから度々いじめられる。今日も、服の隙間から毛虫を入れられるなどされた。

  その度に、クラスメイトの明穂(あきほ)が助けてくれたりするけれど、このままじゃいけない。
  彼女の大好きなパパが昆虫学者だからだ。本当は近所に住む縁のないお兄さんなのだけど、実の父親は昨年病気で死んでしまい、悲しみに暮れているところへ、彼が羽の綺麗な蝶を見せて、蝶は死者の魂を空に運ぶ生き物なのだと教えてくれたのだ。

「虫が苦手なままだったら、パパとやらにも嫌われるぜ?」

 今日、いじめっ子からそんなことを言われてしまった。
 明穂や(さざれ)ちゃんは気にするな、って言ってくれたけど、真夕紀の心は深く傷ついていた。

 虫嫌いで、おどおどしがちな自分をどうにかして変えたい――

 いつもそう思うのだが、なかなかうまくいかない。

 そんなある日の放課後、真夕紀はいつもの通学路に見慣れないものがあるのを見つけた。

「これは……何だろう?」

 緑の茅葺きをあしらった巣箱のようなもの……
 けれど、巣箱にしては、口が細長くて、鳥なんかが入れる大きさじゃない。
 この口は、何か手紙を入れるもののような――

「もしかして……妖怪ポスト?」

 妖怪ポストとは、これに願い事を書いた手紙を入れれば、人ならざる幽霊族の少年が願いを叶えてくれると言われる。ただし、誰の願いでも叶えてくれるという訳ではなく、心からそれを叶えたいと願う純粋な人の前にのみ、ポストは自ら姿を現すという。

 ……けれども、本物だろうか?

 いじめっ子たちのいたずらじゃないかしら。でも、手触りはしっかりしていて、 いたずらでこんなものを作れるとは思えない。それに、今朝の登校中は確かになかった。半日足らずで設置出来るはずはない。
 真夕紀はリュックからノートを取り出して、ページを一枚破り取った。本物かどうか分からないけれど、他人に聞かれても構わない願い事ならいいだろう。
  何て書こうか……「いじめっ子たちがいなくなってほしい」
 
――ううん、駄目。これじゃあ、別の意味に取られかねない。幽霊族の少年ではなく、闇夜に浮かぶ光の名を冠する少年がやってきかねない。
  真夕紀はしばらく考えた後、願い事を書いて、小さく畳み、ポストに突っ込んだ。瞬間、口の奥に広がる闇が手紙を吸い込むように飲み込んだが、彼女はそれに気づかず、リュックを背負い直して、その場を走り去った。

――真夕紀の手紙は、既にポストの中にはない。
空の彼方で、烏(からす)の嘴がそれを咥えていた。
体はない。
嘴だけが、空に浮かんでいるのだ。
嘴だけの烏は、空中に浮かんだまま、畳まれた手紙を嘴で器用に解(ほど)き、ない目でそれを読んだ。

嘴は小さく開かれた――嗤ったようだ。
ややあって、嘴だけの烏は手紙を咥え直して、ある場所へと飛んでいった。

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